医療訴訟に対する私の思い
医療への不信と医療訴訟の増加
私が弁護士となったのは平成16年です。このころは、平成11年の慈恵医大青砥病院等を契機に、医療訴訟(医療過誤訴訟)が噴出していた時期であり、裁判官の中には、過度に患者側に偏重した判決を出し、あるいは過失の存在が明確ではないにも関わらず強引に和解を求める者もあるなど、医療側に対する風当たりが大変強い時期でありました。
過度の患者救済志向による「医療崩壊」の危機
もっとも、被害者救済の方向に司法が傾くことは、少数かつ力の弱い個人の権利を保護するという観点から、医療に限らず起きていたことです。このような方向に傾くとき、司法は過失(一定の注意を果たすべきであったのにこれを怠ったという義務違反)の認定のハードルを下げ、あるいは結果との因果関係についても、抽象的な危険性であっても因果関係を認めることがあります。
しかしながら、医療訴訟においてこのようなことが認められてしまうと、以下のような重大な問題が生じるおそれがありました。
① 過失のハードルを下げる=なすべき医療行為の水準を引き上げることにより、現場の医師において不可能な義務を課すこととなり、現場が萎縮する
② 医療水準を引き揚げる材料として、医学文献・ガイドライン記載の基準等が利用されることにより、医学の専門家ではないはずの裁判官により、あたかも一律に当該記載の通りの医療行為を行わなければならないかのような司法判断が示されてしまい、医師の裁量を奪う
③ 以上のような傾向により、外科・産婦人科等のハイ・リスク診療の現場から、医師が次々と撤退する
以上の諸点の一部は現実化し、「医療崩壊」という言葉が社会問題として取り上げられるようにもなりました。
「『診療ミス』による医師の逮捕」・・福島県立大野病院事件の衝撃
このような医療崩壊の流れは、福島県立大野病院事件における、「業務上過失致死罪」による医師の「逮捕」と、その後の刑事裁判によりピークを迎えます。
産婦人科医師の「判断の誤り」が、民事上の争いになることはやむを得ないとしても、「犯罪」として捜査機関、そして(一時的には)マスコミ・社会からの糾弾を受けたことは、どれだけ現場でハイ・リスクの診療を行う医師に対して衝撃を与えたことでしょうか。
(余談ですが、前事務所で勤務していた8年間において当職が取り扱った事件では、幸いなことに医療過誤の紛争に至った事件においても、1件として刑事事件として告訴されるものはありませんでした。このことからも、患者側の代理人を行う弁護士でさえ、医療行為について刑事責任を負わせることへの慎重な姿勢が伺えるのではないでしょうか)
医療訴訟の「適正化傾向」と新しい動き
福島県立大野病院事件については、医療界、医療側弁護士が全力で支援を行い、数年の裁判を経て、福島県立大野病院事件は無罪となりました。
また、その間、同事件でも問題となった医師法21条の改正を含む「事故調問題」が取りざたされました。政権交代もあり未だ改正に至っておりませんが、この問題は適切な医療行為がなされたかを「何を契機に」「いつ」「誰が」判断すべきかについての重大な事項を含んでおり、改正の方法を誤れば、医療現場の最前線に重大な影響を与えるものです。
他方、ハイ・リスク診療による避けがたい結果についての患者への補償については、産科医療保障制度が創設され、 医療行為の適否に関わらず一定の補償がなされることとなりました。
そして、司法の医療行為に対する評価については、福島県立大野病院事件や「医療崩壊」の社会問題化、医療訴訟の増加に伴う裁判所の習熟、被告となった医師及び医療側代理人の熱心な訴訟活動に伴い、少しづつ医療側の実情に従った判断がなされるようになってきたように思います。
これらの成果は、医療訴訟の現状を理解した医療界により、鑑定の問題点の改善(適切な鑑定人選定への協力や、複数鑑定制度の創設、鑑定制度への鑑定人の理解の深化等)、医療水準を形作る文献・ガイドラインの適切な整備がなされたこと、加えて、何よりも医療機関における医療水準を意識した適切な医療の推進がなされたことの成果であると感じています。
そして、私自身、関わった案件を通じて、多少なりとも適切な医療水準を司法に反映できていれば、これほど幸いなことはありません。
医療訴訟に対する私の姿勢
以上のとおり、長くなりましたが、医療訴訟に関しては、依頼者の意向もふまえつつ、基本的には一件一件、以下のスタンスで臨んでおります。
今後とも、諸先輩が築き上げたものを守り、医療の実情が司法に反映されるべく、最善を尽くして参ります。
① 医療行為当時の医療水準に根ざした判断を求める(一部の文献・鑑定人等の意見による誤った判断を許さない)
② 後から判明した結果から推定される機序(レトロスペクティブな判断)と、医療行為当時の予見義務(プロスペクティブな判断)とを明確に峻別する
③ 意見書取得、文献提出、鑑定人への質問など、医療水準の立証について漏れなく最善を尽くす。
④ 医療に必要な資源、医療機関の性格により生じる「現場の限界」を明確に裁判所に伝える。
⑤ 医師の治療に関する想いを、可能な限り裁判所に伝える。